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【名場面0015】「飛、空、士、さん」 [とある飛空士への追憶 / 恋歌]

 かすかな寝息が、夜の海上の静寂へ溶けていく。
 ファナは腰を下ろすと、毛布のなかで自分の膝を抱きかかえて、顎を膝小僧に乗っけた。
「飛、空、士、さん」
 悪戯っぽい声音で呼んでみた。
 反応は全くない。
 どこか張りつめた普段の雰囲気が消え、いまのシャルルは遊び疲れた子犬みたいに眠っている。
「シャ、ル、ル」
 名前で呼んでみた。返事はない。ファナは微笑んで首を傾げ、頬を膝小僧にくっつけてシャルルの寝顔を眺めた。
「昔、どこかで会った?」
 この旅がはじまってから、ずっと胸のうちにつかえていた質問を投げてみた。まっすぐだけれどかすかに悲しみがにじんだシャルルの眼差しは、どこかで見覚えがある気がした。
「どうして空を飛ぶの?」
 答えはない。
「戦争は好き?」
 シャルルの寝息が質問の返事だ。でも、もしも起きていたら、きっとこの人は「嫌い」と答えるだろう。率先して人殺しができる人には思えない。
「わたしも嫌い。すごく、すごく嫌い」
 ひとりで会話しながら、シャルルの眠りが充分に深いことを確認し、ファナはシャルルの隣に腰を下ろして、ボートの縁に背中をあずけ天頂を見上げた。
 空も海も星たちも静止していた。冷たい風が無愛想に吹いた。
 音のない時間が流れていた。
 渺々(びょうびょう)とした暗黒の海原は、ファナの意識の深いところに宿る原始的な恐れを呼び覚ます。透きとおった満天の星空も、あまりに広大すぎてなにか怖い。
 ファナは傍らで眠るシャルルの横顔へ眼を送った。
 彼は恐怖など微塵も感じていない。素知らぬ顔で一心不乱に眠っている。ファナの頬が緩み、ふっ、と息が抜けた。なぜか温かいものが胸のうちに沁みてくる。こころの深いところが、シャルルの傍らにいることを喜んでいる。

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ファナ・デル・モラル
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「とある飛空士への追憶」
「五」(P.147~149)
(犬村小六著、小学館ガガガ文庫刊)
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 よいシーンです。能書き抜きでご堪能あれ。


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