【迷場面0150】「警察はなにしてたんだ!」 [さよならピアノソナタ]
「神楽坂先輩に逢ったんだって?」
翌朝の教室で、千晶はぼくの顔を見るなりそう言った。
「ああ、うん」ぼくはうんざりして答える。「逢ったっていうか遭ったっていうか」
「じゃあ、もう入部決まりだね?」
「なんでだよ」
「先輩、なにかほしいと思ったら絶対手に入れる人だから」
そのやばいせりふは昨日、本人からも聞いた。神楽坂先輩は裏庭の練習個室の前で、ぼくにずびっと指を突きつけてこう言ったのだ。
『私はほしいと思ったものはどんなことをしてでも手に入れる。蛯沢真冬も、この部屋も、それからきみも』
先輩の宣言する後ろで、練習個室から漏れ聞こえるショパンの葬送ソナタは終楽章の墓場に吹きすさぶ風のところに差しかかっていて、ぼくは一瞬死にたくなったものだ。
千晶のせいで昨日の記憶が全部蘇ってしまった。いやなことを思い出させないでほしい。
「あの人、百万円くらいするギターがどうしてもほしくなって、その楽器屋さんにバイトで入って、店長の弱み握っ……じゃなかった仲良くなって、けっきょくただでもらっちゃったんだって」
「警察はなにしてたんだ!」
「ギターもすぐゲットできたんだから、ナオなんか秒殺じゃないかな」
ぼくの価値は百万円もないのかよ。
「あんな人と一緒に部活できるおまえの神経がわかんない」
「でも、かっこいいでしょ神楽坂先輩」
うーん。二キロくらい離れて見てるぶんにはかっこいいかもしれない。
「先輩となら結婚してもいいな」
「よし。結婚しろ。日本じゃ同性婚は認められてないからカナダ行けカナダ」そして二度と帰ってくるな。
「あたしも先輩も料理できないからナオも一緒だよ?」
「なんでだよ!」
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相原千晶×桧川直巳×神楽坂響子
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「さよならピアノソナタ」
「6 葬送、会議、経費」(P.74~75)
(杉井光著、アスキー・メディアワークス電撃文庫刊)
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主人公が唯一のツッコミ役という会話劇を書かせたら、当代で唯一西尾維新の向こうを張れそうな杉井光の筆力の一端を垣間見てください。
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